蛍東洋医学論文誌 JHTOM 100101
Vol. 10, No. 1, 2023
0.6M
精神疾患への鍼灸の適用
Acupuncture and Moxibustion Therapy for Mental Disorder
大塚 信之 所属 住所
Nobuyuki Otsuka Affiliation Address
あらまし
精神疾患の総患者数は増加しており、五大疾患の一つとされる.精神疾患の中でも、うつ病は生産年齢人口における患者数が多いため、うつ病を中心に鍼灸治療の状況を説明した.
精神疾患に対する西洋医学的治療として、統合失調症、神経症、うつ病などについて説明し、精神疾患に対する東洋医学的治療として癲狂、鬱証について説明した.
鍼灸治療では、日常生活に支障がある場合は西洋医学的治療との併用が重要となる.うつ病に対する鍼治療の有効性は、未だにエビデンスの質は低いが、無治療と比較した鍼治療や、薬物療法と比較した薬物療法に鍼治療を併用した場合、重症度を有意に改善すると報告されている.患者の訴えをよく聞き、鍼灸治療の適否を判断して、西洋医学の薬物療法との併用を考慮して治療することで、鍼灸治療は精神疾患に対しても有効な治療法になると思われる.
うつ病などの治療方法は、気鬱、肝、心を中心に考えられ、頭部の経穴や、肝経や心経が治療の中心となる.脾経や胃経などの治療も行われる.鍼通電も行われるが、精神疾患の治療では軽微な刺激が好まれることも多く、接触鍼、鍉鍼、鑱鍼、軽擦や擦過も用いられる.精神疾患に対する鍼灸治療の課題は、標準的な治療方法が確立されていない点があるため、症例を集積することで、精神疾患に対する標準的な鍼灸治療の構築が進めやすくなると考えられる.
キーワード 精神疾患, 統合失調症, 神経症, うつ病, 鍼通電, 接触鍼, 東洋医学, 鍼灸治療
1.はじめに
厚生労働省の統計から、2020年の傷病分類別総患者数では、精神および行動の障害(以降は精神障害と記載)は503万人で、男性242万人、女性278万人となっている[1].年齢別では15~34歳が62万人、35~64歳が220万人、65歳以上が199万人となっている.他の傷病の場合は、65歳以上が最も高い割合となっているのに対して、精神障害は、生産年齢人口(15~64歳)における患者数が多くなっており、労働生産性の面からは精神障害を減らすことが重要となる.
精神疾患ごとでは、2017年の統計を基に詳しく分析されており、精神疾患を有する総患者数は419万人で、入院患者数は30万人となっており、2014年に比べて減少傾向(-1.2 %/年)にあるが、外来患者数は389万人で増加傾向(2.6 %/年)にある[2].
疾病別では、気分 [感情] 障害(躁うつ病を含む)が125万人で最も多く、神経症性障害とストレス関連障害および身体表現性障害が83万人、統合失調症と統合失調症型障害および妄想性障害が64万人、認知症が62万人となっている.2014年から2017年の増加率では、神経症等が5.1 %/年、気分障害等が4.9 %/年、統合失調症等が1.8 %/年、認知症が1.4 %/年となっている.これらの中でも、気分障害は患者数が多く、増加率も高いことから注目されている.
気分障害は、DSM (Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders) -Ⅳにおいて、大うつ病性障害、気分変調性障害、双極(Ⅰ型,Ⅱ型)障害、気分循環性障害が含まれていたが、DSM-5では双極性障害および関連障害群と抑うつ障害群に分けられた.抑うつ障害群に、うつ病 / 大うつ病性障害、持続性抑うつ障害(気分変調症)、月経前不快気分障害が含まれている.
ICD11においても、神経発達症、統合失調症または他の一次性精神症、緊張病 、不安または恐怖関連症、強迫症または関連症、ストレス関連症等と共に気分症が定義されている.気分症には、双極症または関連症や抑うつ症等が含まれており、抑うつ症に単一エピソードうつ病、反復性うつ病、気分変調症、混合抑うつ不安症等が含まれている.双極症は抑うつ症の5~10%程度と言われていることから、気分障害は主にうつ病としてとらえることができる.
ICD-10のF32.0‐F33.9に該当する障害をうつ病と定義した場合、2008年の日本におけるうつ病の疾病費用は3兆901億円と推定された[3].疾病の治療にかかる直接費用は2,090億円、受療するためあるいは病気の状態であるために生じる労働損失である罹病費用は2兆124億円、疾患により早期に死亡したことによって損失した将来所得である死亡費用は8,686億円であった.他の先進国と同様、日本におけるうつ病から生じる社会的負荷は莫大となっている.うつ病を治療するよりも、うつ病による社会的損失が大きな社会負担となっている.他の疾患と比較して、死亡費用が高いことも特長で、自殺予防の有効な介入によって、うつ病の疾病費用を抑制できる可能性がある.2011年には、地域医療の基本方針となる医療計画に盛り込むべき疾病として指定してきた、がん、脳卒中、急性心筋梗塞、糖尿病の四大疾病に、新たに精神疾患を加えて五大疾病となった[4].現代人は高いストレス状態に置かれているため、抑うつ状態、気分の落ち込み、不安などから鍼灸治療を受ける患者も、これからも増えると思われる.
本論文では、精神疾患に対する西洋医学的および東洋医学的治療法を示したのち、患者が最も多い気分障害としてうつ病に関する鍼灸治療の状況を説明する.
2.精神疾患の西洋医学的治療
以下に、主な精神疾患の概要、成因、西洋医学的治療法を示す[5].
2.1 統合失調症
意識清明であるにもかかわらず現実見当が障害され、幻覚や妄想を生じるほか、意欲低下や感情表出の障害、行動の遅さなどの症状を呈する疾患である.代表的な内因性の精神疾患とされる.発病機序は、脆弱性ストレスモデルが受け入れられている.脆弱性とは、個人の持つ素因で、脳機能と心理機能に現れる発病や再発しやすさのことをいう.脆弱性が高い個人は、ストレスにさらされると発病しやすいとされる.
抗精神病薬による薬物療法が行われる.薬物療法以外には、社会的機能の回復のための問題解決技能の訓練、生活技能訓練、再発徴候の理解などの包括的な治療の重要性を家族が認識するような治療教育が必要となる.
2.2 神経症
不安が極めて強かったり、恐怖感にあおられたり、何かをしなくては済ませられない強迫観念などがある精神状態を神経症という.原因は不明である.
薬物療法として、抗不安薬や抗うつ薬を投与する.不安が強い場合や、症状のうち自律神経系や随意筋緊張には抗不安薬が有効で、強迫的な観念や知覚過敏には抗うつ薬が有効である.
精神療法では、未解決要求問題が明らかでない場合には、患者側に立脚した支持的精神療法を用いる.行動化された症状には認知行動療法を行う.対人恐怖や慢性疼痛などの現実問題の処理が難しい例では森田療法、人格障害を伴う例では精神分析的精神療法により人格の再構築を行う.
2.3 うつ病
気分、思考、意欲の面における変調を主徴とするもので、統合失調症と対置される二大精神疾患の一つとなっている.成因は、セロトニンやノルアドレナリンなどによる神経機能の低下が関連している可能性が高いとされているが、確定はされていない.
治療は、患者や家族の話をよく聞き、患者の悩みに共感することが大切となる.治療は支持的精神療法と、抗うつ薬を主体とした薬物療法を併用する.
2.4 アルコール依存症
日常の生活習慣として反復してアルコール飲料を摂取しているものが、いつものようにアルコール飲料を摂取したいという抵抗し難い欲求を感じるようになっている状態である.成因は、アルコール飲料の常用がきっかけとなる.
治療には断酒が必須となる.断酒すると離脱症状として手指などの振戦、発汗、悪寒、起立や歩行困難、不眠、不安、抑うつ、脱力などが現れるため、本人を取り巻く周囲の人々の協力を得て断酒を励行させる.
2.5 心身症
身体疾患の中で、その発症や経過に心理社会的要因が密接に関与し、器質性あるいは機能性障害が認められる病態を言う.精神障害、神経症、うつ病に伴う身体症状は除外する.一つの器官に固定して現れ、生物学的、心理的、社会的要因が関係する心身相関の病態となる.内科領域の代表的な心身症として、消化性潰瘍、虚血性心疾患、本態性高血圧症、糖尿病、潰瘍性大腸炎、甲状腺機能亢進症、気管支喘息、過敏性腸症候群、過換気症候群、片頭痛、緊張型頭痛、胆道ジスキネジアなどがある.このほか、慢性じん麻疹、アトピー性皮膚炎、円形脱毛症、関節リウマチ、慢性疼痛などがある.各器官別の身体症状があり、身体症状以外に不安感、憂うつ感、不眠などの症状がしばしば認められる.愁訴は不定、多愁訴で、しばしば症候は移動する.
薬物療法を含めた身体的治療に、心理療法と抗不安薬、抗うつ薬、睡眠薬などの薬物療法、代替補完医療を病態に応じて組み合わせて治療する.心理療法としては、一般的心理療法、自律訓練法、行動療法、家族療法、認知行動療法、行動医学などがある.代替補完医療には、バイオフィードバック、漢方薬などの東洋医学、絶食療法などがある.
2.6 神経性食欲不振症
食行動の異常を中心に、著しいやせや無月経を始めとする身体的異常や、抑うつ状態など精神症状を伴う疾患である.摂食障害は、心理社会的要因や摂食調整機構の障害で生じる.若年女性に多く発病し、やせ願望、自分の身体に歪んだイメージをもつこと、体重増加への病的な恐怖の存在がある.
心理療法などで食行動の維持をはかる.抗うつ薬や抗不安薬を使うこともある.身体状態が重篤な場合には、中心静脈栄養などで栄養改善が必要になる.
2.7 神経性過食症
繰り返して大食する状態で、神経性食欲不振症と神経性過食症は互いに移行する.精神心理的問題が発病の原因となる.
治療では、心理療法を行う.
2.8 認知症
認知症は、中枢神経系の高次機能が何らかの原因で慢性的に障害された結果として生じる状態である.次に示す複数の認知機能の障害が認められる場合とされる.新しい情報を覚える能力の障害やかつて獲得した情報を想起する能力の障害といった記憶障害、失語、失行、失認、高次脳機能障害といった認知機能障害、認知機能の障害のため社会生活や職業が困難になる程度の知的能力の低下がみられる.アルツハイマー型、血管性、レビー小体型、前頭側頭型がある.
アルツハイマー型老年認知症の成因は不明である.びまん性の脳委縮、大脳皮質に多数の老人斑、アルツハイマー神経原繊維変化を認める.症状の悪化を抑える薬物として塩酸ドネペジルが開発された.病理的にコリン作動性神経の脱落を認めており、アセチルコリンエステラーゼを阻害して脳のアセチルコリン濃度を高める作用がある.
血管性認知症の成因は、広範な白質の病変や脳梁、海馬、視床をある程度以上障害する病変があると生じる.治療法はないが、脳卒中に対する危険因子の制御や抗血小板薬を投与することにより予防が可能である.
レビー小体型認知症は、脳の神経細胞に存在するαシヌクレインというたんぱく質を核とするレビー小体という物質が大脳皮質に蓄積すると、脳の神経細胞が徐々に減少し認知症の症状が現れる.認知機能障害に対しては、抗認知症薬、パーキンソン症状に対しては抗パーキンソン薬、レム睡眠行動異常には不眠症治療薬などが用いられることがある.
前頭側頭型認知症の成因は不明である.大脳の特定の部位に葉性の萎縮を認める.大脳皮質神経細胞の変性と委縮、白質委縮によるグリオーシス、神経細胞内に銀染色で黒く染まるピック小体が出現する.治療法はない.
3. 精神疾患の東洋医学的治療
以下に、東洋医学的治療法として、主な精神疾患の病因病機、証分類と処方例を示す[6].
3.1 精神に異常をきたす病証
精神に異常をきたす病証は癲狂とよばれ、癲証と狂証にわかれるが、二つの病証は症状上はっきりと区別できず、交替に出現することもあり、相互に転化することもあるので、臨床上は一括して癲狂という.癲証は、抑うつ状態、痴呆状態を呈し、言語錯乱、泣いたり笑ったりするなどの症状を主症とする.病態としては、陰に属し静を特徴とする.狂証は、狂躁状態を呈し、罵声や奇声をあげる、妄動する、怒りっぽいなどの症状を主症とし、病態としては陽に属し動を特徴とする.
3.1.1 病因病機
病因病機は、陰陽失調による癲狂、情志損傷による癲狂、痰火上擾による癲狂、火盛陰傷による狂証に分けられる.
陰陽失調では、陰陽のバランスが失調して陰と陽が相互に連絡できなくなり、下は陰虚となり、上は陽亢となり、心神が影響を受けて神明が逆乱すると癲狂がおこる.これは、先天の稟賦(生まれつきの性質)と関係がある.
情志損傷では、怒り驚き恐れなどが肝腎を損傷し、喜怒の異常な変動が心陰を損傷する.肝腎の陰液が不足し、そのために肝が潤されないと条達(伸び広がる事)がうまくいかなくなり抑うつ状態となる.また心陰が不足することにより心火が異常に亢進することがある.過度の思慮などにより心脾を損傷すると、心虚のために神が不安定になり、脾虚のために気血の生成が不足し神を主れなくなることがある.
痰火上擾は、痰気が清竅(頭部にある7つの穴)に上擾(上昇してかき乱す)し、心神を蒙閉(覆って閉じる)すると、神志が逆乱して癲狂が起こる.
火盛陰傷は、狂証が長期に改善しないと、陰を損傷して虚火が生じ、狂証が生じる.本病証は、先天的な稟賦と密接な関係があり、この稟賦は多くの場合、遺伝性の物であり、癲狂の患者の多くは類似した家族歴を有する.
現代では、癲狂の病因病機は、陰陽失調、七情内傷、痰気上擾、気血凝滞を主な素因としている.病変部位は主として肝胆心脾にある.精神分裂症、狂躁性抑うつ性精神病、更年期精神病などは本病証の弁証施治を参考に治療できる.
臨床上は、陰に属する癲証と、陽に属する狂証を鑑別する.ただし、癲証が長期にわたって改善しないと、うつによる熱化がおこり、狂証に転化することがある.また、狂証が長期にわたって改善しないと、火熱が発越(外に発散)して癲証に転化することがある.
3.1.2 証分類と処方例
癲証は、痰気鬱結による癲証と心脾両虚による癲証がある.
痰気鬱結による癲証の主症は、抑うつ状態、ぼんやりした表情、言語錯乱.随伴症は、独り言、喜んだり怒ったりする、疑い深くなる、妄想、幻視、幻聴、食欲不振.舌苔膩、脈弦滑となる.治法は調気化痰、清心安神.処方例は、神門、大陵、印堂、膻中、豊隆、三陰交となる.幻視には睛明を、幻聴には聴宮を加える.必要に応じて、百会、水溝、心兪、肝兪、脾兪などを選穴する.
心脾両虚による癲証の主症は、恍惚状態、表情が無い、反応がにぶい、心悸、驚きやすく、よく泣き悲しむ.随伴症は、疲労倦怠感、顔色がさえない、食欲不振.舌質淡、脈細無力となる.治法は、健脾養心、益気安神.処方例は、神門、大陵、足三里、三陰交、心兪、肝兪、脾兪となる.
狂証は、痰火上擾による狂証と火盛陰傷による狂証がある.
痰火上擾による狂証の主症は、狂躁状態、罵声や奇声をあげる、物をこわす、人を殴る.随伴症は、怒りっぽい、いらいらする、頭痛、不眠、顔面紅潮、目赤などの前兆、数日にわたる不食不眠.舌質紅絳、舌苔黄膩、脈弦大滑数となる.治法は、平肝瀉火、清心去痰.処方例は、労宮、水溝、巨闕、大鐘、神門、豊隆となる.熱の強いものには大椎、曲池を加える.狂躁がひどいものには、太衝、支溝を加える.必要に応じて、大陵、内関、風府、少商、隠白などを選穴する.
火盛陰傷による狂証の主症は、長期にわたる狂証、病勢は次第に軽減、多言、驚きやすい、顔面紅潮.随伴症は、煩躁、食欲減退、倦怠感、動きが少ない.舌質紅、脈細数となる.治法は、滋陰降火、安神定志.処方例は、水溝、巨闕、神門、大陵、三陰交、太渓となる.
千金要方には、癲狂十三穴として、人中、少商、隠白、大陵、申脈、風府、頬車、承漿、労宮、上星、男は会陰をとり、女は玉門頭をとる、曲池、湧泉の記載がある.
耳鍼は、交感、神門、心、肝、皮質下、内分泌、胃、枕をとる.
中薬は、痰気鬱結による癲証は順気導痰湯加味、心脾両虚による癲証は養心湯、痰火上擾による狂証は生鉄落飲、火盛陰傷による狂証は二陰煎となる.
3.2 気機が鬱滞しておこる病証
情志憂鬱により気機が鬱滞しておこる病証を鬱証という.鬱証には、抑鬱、情緒不安定、胸胸脹満、疼痛、怒りっぽい、よく泣く、喉の梗塞感、不眠などの複雑な症状が現れる.気機が鬱滞して、それが長期にわたって改善しないと、病は気から血におよび、そのため多くの病変に変化する可能性がある.鬱証は気鬱、血鬱、痰鬱、湿鬱、食鬱に分類されるが、これらは気鬱が基本にあり、それが変化して起こるものとされる.神経症、ヒステリーおよび更年期抑鬱症などは、鬱証の弁証施治を参考に治療できる.
3.2.1 病因病機
鬱証は、実証と虚証に分類され、実証には肝気鬱結による鬱証、気鬱化火による鬱証、気滞痰鬱による鬱証があり、虚証には心神失養による鬱証、心脾両虚による鬱証、陰虚火旺による鬱証がある.
肝気鬱結による鬱証は、情志の失調により肝の条達が悪くなり、そのため肝気鬱滞となり気鬱の状態が改善されないとおこる.気滞血瘀となり、そのためにおこる場合もある.
気鬱化火による鬱証は、肝気鬱結の状態が長期にわたって改善されないと化火することがあり、それによりおこるものもある.この場合は、肝火による症状を伴う.
気滞痰鬱による鬱証は、肝鬱乗脾、過度の思慮、労倦により脾を損傷し、脾の運化機能が悪くなって痰湿を形成し、そのために気滞痰鬱となっておこる.
心神失養による鬱証は、憂慮などにより心気、営血を損傷すると心神失養となり、そのために心神不安になっておこる.
心脾両虚による鬱証は、過度の心労や思慮、久鬱(長期の気鬱)により脾を損傷し、そのために気血の生成が悪くなり、心神失養になっておこる.
陰虚火旺による鬱証は、長期にわたって気鬱の状態が改善されないために化火し、それにより陰血を損傷すると、病は肝腎に波及し、陰虚火旺によりおこる.
3.2.2 証分類
肝気鬱結による鬱証の主症は、精神抑鬱、情緒不安、よくため息をつく.随伴症は、胸脇脹満、疼痛部位は一定しない、胃脘部のつかえ、食欲不振、曖気、腹脹、嘔吐、大便失調、閉経で.舌苔薄膩、脈弦となる.治法は、疎肝理気.処方例は、期門、陽陵泉、支溝、足三里、足臨泣、太衝となる.食滞による腹痛には、中脘、天枢を加える.曖気が頻繁に起こる者には、中脘、内関を加える.胸脇脹痛または閉経を伴い脈弦濇の者には、血海、帰来を加える.
気鬱化火による鬱証の主症は、いらいらする、怒りっぽい.随伴症は、胸胸脹満、嘈雑、呑酸、口乾、口苦、大便秘結、または頭痛、目赤、耳鳴.舌質紅、舌苔黄、脈弦数となる.治法は、清肝瀉火、解鬱和胃.処方例は、肝兪、巨闕、足三里、期門、太衝となる.
気滞痰鬱による鬱証の主症は、喉の違和感、または梗塞感.随伴症は、胸悶、胸部の息づまり感、または胸痛を伴う.舌苔白膩、脈弦滑となる.治法は、化痰、理気、解鬱.処方例は、天突、肺兪、膻中、上脘、内関、豊隆、肝兪、太衝となる.
心神失養による鬱証の主症は、精神不振、精神恍惚、情緒が激動しやすい、悲しんだり泣いたりする.随伴症は、煩悶する、時々あくびをする、不眠.舌質淡、舌苔薄白、脈弦細となる.治法は、養心安神.処方例は、通里、心兪、三陰交、内関、神門、足三里となる.
心脾両虚による鬱証の主症は、良くくよくよする、臆病になる.随伴症は、心悸、不眠、健忘、頭暈、顔色がさえない、食欲不振.舌質淡、脈細弱となる.治法は、健脾養心、益気安神.処方例は、神門、三陰交、足三里、脾兪、心兪、章門、太白となる.
陰虚火旺による鬱証の主症は、眩暈、心悸、不眠、心煩、怒りっぽい.随伴症は、腰や膝がだるい、遺精、月経不順.舌質紅、脈弦細数となる.治法は、滋陰盛熱、寧心安神.処方例は、三陰交、神門、心兪、腎兪、太渓となる.
耳鍼は、心、皮質下、枕、脳点、肝、内分泌、神門、および相応する病変部位をとる.
中薬は、肝気鬱結による鬱証は柴胡疎肝湯、気鬱化火による鬱証は丹栀逍遥散合左金丸、気滞痰鬱による鬱証は半夏厚朴湯、心神失養による鬱証は甘麦大棗湯、心脾両虚による鬱証は帰脾湯、陰虚火旺による鬱証は滋水清肝飲となる.
4.うつ病の原因
4.1 慢性ストレス
長く続く慢性のストレスが存在すると、うつ病や神経症および心身症といった、心の問題や体の疾患が生じると言われている.ストレスには、ストレス疾患モデルのように、ストレスで心や体が病気になるというイメージがあるが、ストレス成長モデルでは、ストレスがあるとをれを乗り越えようとして力が出る.従って、大きなストレスがあっても、ストレスを乗り越えて成長できればよいため、ストレスを跳ね返す復元力が重要となる.
4.2 ストレス反応
ストレス自体は測定が難しいため、ストレス反応の結果として生ずる現象を観察する.視床下部、下垂体、および副腎皮質が重要となる.ストレスがあると、視床下部からアドレナリンが出て、副腎髄質からノルアドレナリンが出る.これらのホルモンは、急性のストレスを緩和するための準備段階となる.副腎皮質ホルモンが出ると、抗炎症や免疫抑制、心拍増加、呼吸増加、筋エネルギー増加、血糖上昇などの反応が起こる.急性のストレスの場合は、体に悪い反応は起きないが、長く続く慢性のストレスでは、うつ病、神経症、心身症といった、心の問題や体の疾患が生じるため、ストレスが慢性的に続くことが問題となる.
ストレスがかかると、同じストレスでも頑張る人と心配になる人がいる.このように、その人のストレスに対する脆弱性によって出現する反応が変わってくる.頑張る人をストレス耐性が高く、ストレス脆弱性が低いと定義する.ストレス脆弱性が高い場合は、同じ状況に遭遇しても、大きなストレスが発生して、外傷性ストレス障害が起きたり、普通の人ではストレスに感じないようなことでも統合失調症を発症することがある.この、健康な状態と統合失調症の間に、うつ病や神経症などがある.ストレス脆弱性は日々変わっており、体調にもよる.ストレスを緩和するのは難しいため、日頃からストレス脆弱性を低くすることが重要となる.
人はストレスを認知して評価する.ストレスをどのように受け止めるか、頑張るか心配するかは、認知で決まる.認知の結果、不安などの症状となる.症状は、経験などの個人的要因により決まる.個人的要因は、どのような人が支えているか、医者や鍼灸師からの支援などにもよるため、その人を支える社会的支援も重要となる.その後、ストレス反応が起こり、ストレス対処行動が起きる.その結果、ストレスが解消されると良いが、解消されないとストレス疾患を発症する.疾患にならなくても、アルコール中毒などの問題行動が発生する.
4.3 精神疾患のメカニズム
近年の脳科学の進歩により、うつ病を始めとする精神疾患には、前頭前野、偏桃体、ブロードマン25野(前帯状皮質)、側坐核などの関与、およびセロトニン神経系、ノルアドレナリン神経系、ドパミン神経系の関与が報告されている.脳科学に基づく治療として、セロトニン神経系、認知行動療法、運動療法などが重要となる.うつ病になりやすい体質や心理的ストレスに加えて、脳内の変化がある.不安な気分となる前頭前野、うれしい感情を主る側坐核、 不安な気持ちにする偏桃体、ブロードマン25野に相当する前帯状皮質があるが、前頭前野や前帯状皮質が偏桃体を制御している.セロトニンは、背側縫線核から出ており、抗うつ薬はセロトニンを活性化する.
慢性ストレスがかかると、コルチゾールが分泌されて、ネガティブフィードバックがかからなくなり、高コルチゾール血症となる.縫線核は急性ストレスの時はセロトニンを増やすが、慢性ストレスではセロトニンを抑制する.高コルチゾール血症では、BDNF(Brain-Derived Neurotrophic Factor, 脳由来神経栄養因子)の分泌が低下する.脳の神経は成長しなくなり、傷んでくる.セロトニンは高コルチゾール血症で低下したBDNFを改善するが、セロトニンが減ると改善できなくなる.抗うつ薬は、BDNFに関与している.
前頭前野の異常では、感情失禁や、情動が制御できなくなる.ブロードマン25野の異常では、情動が制御できなくなる.偏桃体の異常では、不安や悲しみが増強する.
セロトニンは、平常心を維持し、姿勢を維持し、痛みを抑制する.セロトニンの活性化には、太陽の光を浴び、集中して一定のリズムで筋肉を動かす.例えばガムをかむのでもよい.
5.精神疾患の鍼灸治療
精神疾患の場合、入院が必要となる重症者は減少しており、うつ病でも軽症者が増加している.軽症者の場合は、抑うつ気分などの精神症状を訴えることが少なく、身体症状を中心に訴えることが多い.鍼灸治療の現場では、身体症状を扱うことが多いが、精神症状を訴えていなくても軽症のうつ病患者が含まれる可能性が高くなる.そこで、鍼灸治療では、患者の訴えをよく聞き、診察の中から患者の家庭環境や社会環境に至る情報を聞き出す必要がある。鍼灸治療の適否を判断し、時には西洋医学の薬物療法と併用して鍼灸治療を行うことで、精神疾患の患者にも有効な治療法になると思われる.
5.1 鍼灸治療の概要
5.1.1 最近の鍼灸患者の傾向
65歳以上の鍼灸患者は、半数は精神疾患を持っていないが、9点以下の軽度うつ状態は36%、10点以上の強度うつ状態は15%程度いると言われている.ストレスによって生ずる症状は、経験などの個人的要因などにより決まるため、その人を支える社会的支援が重要となる.鍼灸師は、患者に対して社会的支援、体調改善、患者教育などを行うことができる.そこで、鍼灸師は、心の問題と身体的な問題が関係していることを理解し、身体的な問題が患者の心に影響を与えることを認識しておく必要がある.身体的な問題では、生命に直接影響しない退行性疾患から、生命に影響し、苦痛の程度が大きい癌まで、様々な疾患が影響する.例えば、慢性疼痛や癌、アトピーや夜間頻尿で寝れないといった身体的な問題が、心に影響する.逆に、うつ病や統合失調症などの心の問題が、肩こりや頭痛となり、それらが精神疾患を悪化させる.一方で、身体的な問題が無くても、妻を亡くしたり、子供の自立などの喪失体験が加わって、心の問題が独立して発生することがある.この場合は、子育ての代わりになる生き甲斐を一緒に探してあげることも重要となる.
5.1.2 病態把握
精神疾患を見つけるには、鍼灸師と患者との良好な信頼関係の構築が重要となり、鍼灸師の対話能力が問われる[7].病態把握において身体のサインを見逃さないことも重要となる.次に、鍼灸治療の適否判断を行う.患者がどのような日常生活を送っているかに注意し、支障がある場合は西洋医学的治療を併用する.希死念慮に注意して、危険なうつ病を見分ける.さらに、うつ病の現代医学的治療の理解を深め、病気の状態と症状から鍼灸治療の目的を明確にする必要がある.
非指示的カウンセリングなどによる面接能力も重要となる.傾聴と共感を中心とした医療面接を行い、患者と良好な関係を形成することで治療効果を上げることができる.特に、うつ病治療の原則は、良好な患者と治療者の関係が重要となるため、面接能力も必要となる.傾聴、共感、支持的態度や非指示的精神療法が重要となる.
5.1.3 診断基準
大うつ病の診断基準は、感度と特異度に注目する.感度は病気を否定するために使い、特異度は病気を確定するために使用する.感度と特異度が高い方法が良い判断基準となる.感度と特異度が高い質問は、毎日の抑うつで、興味や楽しみの消失があるとうつ傾向と判断できる.それ以外にも無価値観や罪悪感もある.一方で、死んでしまいたいと思うは、100%うつ病と考えられる.うつ病患者が自殺するのは、他人に迷惑をかけると思って、死んだほうが良いと思ってしまうことにあると言われている.
5.1.4 鍼灸治療
特有の治療穴はなく、患者の状態を把握して、その患者との関係を築き、患者教育を行い、西洋医学と一緒に治療する.治療にはEBM(Evidence-based Medicine)をうまく取り入れることも重要となる.
鍼灸治療は、一般的には30~40分間あるので、そのなかで患者を支援することが重要となる.精神的な援助も必要となる.患者は、本当に懸念していることや、話したいことは話さない事が多く、患者が言っていることが全てではないと考える必要がある.患者との対話では、身だしなみ、静かで快適な部屋、座る位置への配慮、目や顔を見る、同じ目線で挨拶する、共感することなどが重要となる.
5.1.5 患者教育
治療にあたっては、認知行動療法や、適切な患者教育が重要となる[7].精神疾患を学び、適切な患者教育を行って、患者の誤った認知の修正を行う必要がある.心理教育も重要である.うつ病はどのような病気か、どのような治療が良いか、脳機能との関係を理解したうえで、悪循環を断ち切り、睡眠などにより脳を休息させる.薬物療法や認知行動療法などもあるが、それらに加えて鍼灸治療がある.
患者への精神的な援助としては、開かれた質問が重要となる。共感は必要だが安易な励ましはしない.大丈夫とか、頑張りましょうは禁句となる.承認し、正当性を与えるとともに、探索し、理解し、辛さを共感してあげることが重要となる.例えば、夜が寝られないことはつらいですね、と共感することも重要となる.
5.1.6 医鍼連携
補完医療としての鍼灸治療は、医師との連携も重要で、西洋医学との併用治療を行う必要がある.医師と鍼灸師の連携では、鍼灸師によるEBMの活用が重要となり、鍼灸治療だけでなく診断にもEBMを活用することがポイントとなる.
以上のように、鍼灸治療では、患者の訴えをよく聞き、診察の中から患者の家庭環境や社会環境に至る情報を聞き出し、鍼灸治療の適否を判断し、時には西洋医学の薬物療法と併用して鍼灸治療を行うことで、精神疾患の患者にも有効な治療法になると思われる.
5.2 鍼灸治療の報告例
5.2.1 動物実験
動物実験では、抗うつ薬と鍼灸の併用による効果が確認されている[8].ラットを水につけておくと、動き疲れて止まる.この止まっている時間を測定するという方法を用いた.抗うつ薬を投与するほど、止まる時間は減少した.ラットに鍼通電をすると、抗うつ薬を5mg投与した場合に匹敵する効果が得られた.鍼通電に抗うつ薬を併用すると、60mgに匹敵するほど効くことが解った.これから、抗うつ薬に鍼灸を併用すると良いとことが解る.抗うつ薬は、体調が良くなると減らすことができる.ラットは甘いものが好きで砂糖水を飲むが、ストレスを掛けると砂糖水を飲まなくなる.薬を投与したり、鍼灸を行うことで、砂糖水を飲むようになることも解っている.
5.2.2 鍼灸によるうつ病治療のメカニズム
セロトニンの活性化には、集中して一定のリズムで筋肉を動かすとよいため、鍼通電で筋肉を周期的に動かすと側坐核のセロトニンの分泌が増加する[9].ストレスで減少したセロトニンやドーパミンが改善する.抗重力筋へのアプローチや筋緊張緩和による姿勢改善などもある.
認知行動療法や、座やヨガなどの補完代替療法も使われている.例えば、認知行動療法では認知のゆがみを正していくことができる.患者と医療者の良好な関係が、前頭前野を活性化するため、脳科学や神経伝達物質に対する効果を考えた鍼灸治療、患者教育、セルフケアがこれからの鍼灸師には必要となる.
5.2.3 臨床研究
初期のシステマティックレビューが2011年に実施された.84論文が候補に挙がったが、選択基準に合致しない論文を除外すると10論文となった.研究の質は2005年と比較して高まったが、メタアナリシスの結果、鍼通電治療あるいは鍼通電治療と抗うつ剤の併用は、抗うつ剤単独治療と比較してスコアが有意に改善した.一方で、うつ病に対する鍼治療の有効性についてのRCT (Randomized Controlled Trial) は、以前より研究の質が高まったとはいえ、いまだに不十分と思われる[10].
大規模なうつ病の臨床の研究では、2013年に、西洋医学治療、西洋医学+カウンセリング、西洋医学+鍼灸の3群に分けて実施された[11].23人の鍼灸師、755名の患者の臨床試験である.鍼灸治療の方法は決めないで、個別に実施した結果、カウンセリングや鍼灸で改善傾向を確認した.248穴が使用され、三陰交、太衝、足三里、合谷が多く用いられた.指圧や電気療法も併用された[7].
うつ病に関するシステマティックレビューが、2018年のコクランレビューに掲載された[12].鍼治療は、エビデンスの質は低いものの、無治療と比較した鍼治療、薬物療法と比較した薬物療法に併用した鍼治療は重症度を有意に改善すると報告された.30件のRCTについて解析を行い、待機群との比較を行った2件の研究(介入群n=31, 対照群n=63)では、SMD (Standardized Mean Difference, 標準化された平均値の差) [95%信頼区間] = -0.73 [-1.18, -0.29]であり、セルトラリンなどの抗うつ薬単独と鍼灸療法の併用とを比較した2件の研究(介入群n=23, 対照群n=22)では,SMD= -1.06 [-1.69, -0.43] と、鍼灸療法に効果を認めるとの結論であった.しかし、対象者の数が少なく、多くのバイアスが含まれており、エビデンスの質は低いと考えられる.メタアナリシスの著者らは、この結果には限界があり、現時点でうつに鍼灸療法を行うのはエビデンスが不十分であると結論づけてた[13].
システマティックレビューとメタアナリシスの報告では、2018年までの29件のRCT、2,268人の参加者が含まれ、メタアナリシスにより鍼治療対偽鍼治療、鍼治療と抗うつ薬対抗うつ薬単独によるRCTを比較した[14].どちらも鍼治療を行った群で有意なうつ症状の軽減が認められた.他の報告でも、薬物療法との併用を推奨しており、その結果を裏付ける動物実験も報告されている.
鍼灸治療が適応となるうつ病を主とする精神疾患は、軽度や中等度であるため、日常生活に支障が無ければ鍼灸治療単独でも治療は可能である.一方で、日常生活に支障がある重度の場合は西洋医学的治療と併用される.
鍼治療終了時の重症度は、通電を用いない手技鍼治療と鍼通電治療の両方で改善が認められた.鍼治療と対症治療(鍼灸では追加の治療)の間では若干改善した.レーザ治療でも有意に改善した.通常の投薬と鍼治療は変わらなかった.通常治療に鍼治療を加えると、通常治療だけに対して改善した.
主要な治療経穴は、百会、内関、印堂、四神総、頭維などがあり、神門や足三里などが続く.このように、頭部の経穴や、肝経や心経が治療の中心となる.うつ病は、身体症状が出るため、胃経や脾経などで食欲改善などの治療も行われる.
鍼灸治療は、東洋医学的弁証に基づき、瀉法が中心となる.弁証では、気鬱、肝、心が中心となる.うつ病の場合は、心身両面の愁訴を有するため、身体症状に対しても治療を行う.百会、内関、神門、三陰交、太衝もしくは行間、天柱、風池、心兪、肝兪、膏肓が用いられる[4].百会の効果が少ない場合は四神聡を用いる.また、症状に応じて、胸苦しさは膻中、不眠は神門や心兪、気虚による食欲不振は足三里、脾兪、気海、高齢者や性格の脆弱な者は太渓、腎兪、関元を追加する.
効果が不十分な場合は、百会と印堂に鍼通電刺激を追加する.周波数は2Hzか100Hzが多く用いられる.印堂は寸三3番鍼で半分くらい骨膜を擦るように横刺する.筋肉やセロトニンを意識すると1Hzや2Hzとなる.磁場を発生させるには直流電流が良いが、直流にはできないので、効かない時は100Hzにする.患者の感想でも1Hzから2Hzが良い人と100Hzが良い人がいる.印堂への刺鍼では、出血することはあるが、内出血を起こすことはまれである.
他の治療法としては、反復経頭蓋磁気刺激療法 (rTMS: repetitive Transcranial Magnetic Stimulation) や経頭蓋直流刺激方法 (tDCS: transcranial Direct Current Stimulation) がある.rTMS は、コイルで頭の上から磁気で刺激する方法で、慢性頭痛でも使用されている.tDCSは、実施したほうがうつ病が良くなるという報告がある.印堂、太陽、頭臨泣、頭維、百会、四神聡、率谷などに鍼をして直流通電を実施する.交流でも行われている.印堂と百会の間の通電もよい.直流では折れる鍼があるため交流を用いるが、交流を用いても効果がある.
5.2.4 鍼灸治療の報告例
鍼灸治療の報告例を示す[7].60歳女性、主訴は夜が寝れない.37歳で自律神経失調症を発症.義理のお母さんと同居中で、義母が寝たきりになってしんどくなった.世話と仕事をやってきたが、介護が必要になると一日中世話をする必要がある.不眠、気力低下、全身倦怠感、朝起きにくい、食欲不振となり、うつ病になった.このままでは自分は動けなくなるという不安が出現したので受診した.自律神経失調症と診断された.薬が効かないので鍼灸を受診した.自殺願望はないので、軽症と思われる.
まず、精神科に紹介して、うつ病と診断され、投薬が始まった.診断後に鍼灸治療を開始し、四神聡、太衝、内関、天柱、風池、肝兪、公孫、足三里などを用いた.精神科医は、義母の外泊を依頼した.薬を出しながら鍼灸治療を実施した。薬の必要がなくなり、鍼灸治療も終了した.
腰痛や頻尿などの理由がないのに寝れないのは、7割程度が精神疾患と言われる.精神疾患を見つけることと、精神疾患の鍼灸治療の適否判断が重要となる.
6.考察
社会的コストの観点から、患者の精神障害の軽減が重要となる.精神障害は、医療コストは小さいが、患者が業務を休むことで患者の代理者を雇用するなどの間接負担などによる社会負担が増える.そこで、精神障害は、癌患者よりも社会的コストがかかるといわれており、国は特にうつ病の対策を推進している[15].鍼灸治療による患者の精神障害の軽減は、この社会的コストの削減に寄与できるため、鍼灸師は、鍼灸治療により患者の精神障害を軽減できることを、一般の方々に対して積極的に知らせる必要があると思われる.
精神疾患の東洋医学的治療において示したように、うつ病は癲狂と鬱証との関連が深いと考えられる.癲狂のうち、うつ病は癲証の抑うつ状態に近いが、癲狂を構成する癲証と狂証は症状上はっきりと区別できず、交互に出現することもあり、相互に転化することもある.癲証のみにこだわると双極性障害によるうつ状態を見落とすことになりかねないため、臨床上は一括して扱うとよい.
うつ病は、痰気鬱結と心脾両虚による癲証の症状に近い.鬱証では、うつ病は肝気鬱結、心神失養、心脾両虚による鬱証の症状に近い.一方で、癲狂や鬱証には、うつ病だけでなく、統合失調症、神経症、双極性障害、心身症、更年期障害、認知症などが含まれており、患者の訴える症状から証分類を的確に行い、処方を組み立てる必要がある.
うつ病の発症予防の観点から、日頃からストレス耐性を高く維持することが重要となる.ストレスの存在によりうつ病などの精神疾患が生じるため、疾患が生じていない状況ではストレスを跳ね返す復元力が重要となる.ストレスのある人には、ストレスを乗り越えて成長するように働きかけ、鍼灸治療を通じて疾病にならないように健康管理を行うことが重要となる.うつ病などの精神疾患を発症した人には、症状の改善に向けて鍼灸治療を通じて関わることが重要となる.一方で、鍼灸院に来院することの多い慢性疼痛や癌による痛みを訴える患者は、肉体的な苦痛だけでなく、精神的な苦痛も感じているため、大きなストレスを受けている.このような患者に緩和ケアを実施している時は、患者の寿命はそれほど残されていないため、ストレスを乗り越えるためではなく、最後まで充実した人生が送れるように、医療機関における緩和医療の提供に加えて鍼灸による苦痛の軽減も重要となる.
うつ病などの精神疾患の原因となるストレスの緩和の観点から、日頃から軽微なストレスを印可する方法がある.急性の軽微なストレスを印可することで、大きなストレスを緩和することができると言われている.例えば、急性ストレスとして、ラットに拘束ストレスをかけると、アドレナリンやノルアドレナリンが増加して、大きなストレスを緩和できる.このアドレナリンやノルアドレナリンの増加は、鍼通電刺激の場合でも実現できる.例えば、鍼通電刺激により急性の軽微なストレス刺激を発生させて、アドレナリンやノルアドレナリンを増加することで、体の炎症を抑えたり、体を活性化できると考えられる.このように、鍼灸治療によるアドレナリンやノルアドレナリンの増加によって、疾病の原因となる大きなストレスを緩和することができると思われる.
うつ病などの精神疾患の標準的な治療方法の観点から、最近のいくつかの報告が参考になる.うつ病と双極性障害のうつ状態における鍼治療の上乗せ効果を、フォローアップの標準治療期間と比較した報告では[16]、鍼治療は、週一回3ヵ月間実施された.治療部位は、百会、風池、心兪、肝兪、脾兪、内関、合谷、足三里、三陰交、太衝の10穴を共通治療穴として、各症例の身体所見に応じて追加した.治療の結果、ひもろぎ自己記入式うつ尺度は、初診時と比較して鍼治療開始後2~5ヵ月に統計学的に有意な減少が認められた.ひもろぎ自己記入式不安尺度は、初診時と比較して鍼治療開始後2~4ヵ月に統計的に有意な減少が認められた.一方で、使用薬物の換算値に変化はなかった.服薬などの標準治療に鍼治療を上乗せすることにより、うつ症状は2ヵ月後に一定の改善が認められ、その効果は鍼治療終了後2ヵ月は持続することも示された.報告された治療部位は、従来から用いられている経穴である、百会、風池、心兪、肝兪、内関、三陰交、太衝に、脾兪、合谷、足三里が追加されている. 従来の弁証では、気鬱、肝、心が中心に考えられてきたが、臨床では脾経や胃経の異常による発症が認められることが増えてきており、脾経に関連する経穴である 脾兪、合谷、足三里が追加されていることは、最近のうつ状態における鍼治療の傾向を表していると思われる.一般向けの書籍でも、百会、天柱、身柱、命門、神門、内関、足三里、光明、太衝が推奨されている[17].
この報告では、患者の病態の程度が強い場合や著明な筋骨格系症状の所見が認められる場合に鍼通電療法(1Hz, 10分間))が用いられている.前頭前野の活性では、前頭葉近くに100Hz程度の鍼通電が行われている.一方で、前頭前野の活性化の観点からは、鍼灸治療の技術的側面だけでなく、患者と鍼灸師の間に良い信頼関係を作ることで、前頭前野を活性することもできる.例えば、患者教育において、瞑想やマインドフルネス、腹式呼吸などの呼吸法の指導を通じて良好な信頼関係を形成することができる.良好な信頼関係の形成の観点からは、鍼灸師は、面接能力を磨き、患者の身体の症状だけでなく、心の症状を改善し、体調不良や不安を取り除いて、ストレスを緩和していく必要がある.その結果、患者のストレスの受け止め方、ストレスに対する認知、ストレス対処行動を改善していくことができる.
治療強度の観点から、うつ病などの精神疾患の治療では軽微な刺激が好まれることが多い.うつ病患者は、鍼による強い刺激を好まず、軽擦や擦過などが好まれる場合が多く、鍉鍼を用いることで治療効果が上がる場合もある.軽擦では、軽擦を主としたベビーマッ サージにおける母親の対児感情とメンタルヘルスに及ぼす影響が報告されている[18].軽擦により、エジンバラ産後うつ病質問票の得点が減少している.対児感情評定尺度の接近得点と拮抗指数が変化し、子供の扱いやすさの得点が増加し、子供を肯定する感情と産後うつ傾向が改善した.このように、 軽擦を主とするベビーマッサージは、母親の対児感情とメンタルヘルスに良好な影響を及ぼした可能性が示されており、うつ病患者の治療に軽擦を取り入れると良いと思われる.擦過では、鍼灸師による擦過鍼を用いた認知症高齢者のケアの臨床的意義に関して報告されている[19].グループホーム入居中の認知症高齢者に対する施術の観察記録、介護記録、介護者インタビューの収集データから、鍼灸施術に関連した言動や情景についての記述を抜き出し、同質の意味内容を象徴するキーワードにまとめ、質的統合的な解釈が試みられた.その結果、擦過鍼を用いた認知症高齢者に対するケアは、日常的に標準的な介護ケアを補完する役割を担っていることが示された.
刺激が軽微な回転式の接触鍼(超旋刺)も、精神疾患に関する多くの症例が報告されている.肺虚証の沈脉が多いが、肝虚証や脾虚証もある.太淵、太白、足三里、曲池、中脘、気海、攅竹、風池、肩井、肺兪、脾兪、志室、霊台、三陰交などが用いられている.澤田流の応用例では、中脘、左陽池、気海、曲池、足三里、照海、身柱、天髎、膈兪、脾兪、腎兪、次髎、百会、神道から圧痛点や虚した経穴が選択されている[20]. さらに刺激の少ない、鍉鍼や鑱鍼の使用が効果的な場合も報告されている[21].
精神疾患に対する鍼灸治療では、標準的な治療方法が確立されていないことが今後の課題となっている.標準的な鍼灸治療の構築の観点からは、多施設の開業鍼灸院における精神的愁訴に対する鍼灸治療の結果について報告されている[22].精神的愁訴を有し、西洋医学的な標準治療で十分な改善に至らず鍼灸院へ来院した症例を多施設で集積した.治療方法は、各施設において制限することはなく、完全個別化されており、個々の患者に合わせたオーダーメイド治療が実施された.評価は、PHQ-9 (Patient Health Questionnaire-9) およびPHQ-15で行い、いずれもスコアが良化した.ここで、PHQ-9 は、DSMに基づいて開発された精神科5疾患のスクリーニング尺度であるPHQから、うつ病に関する9項目を取り出して作られたうつ症状の重症度尺度となる.PHQ-15は、PHQ の身体表現性障害モジュールの質問項目13 項目と PHQ-9の身体症状項目 2 項目で構成されており、 15 個の質問項目からなる.治療後に症状が残存したものもあるが、服薬しなくなった症例も記載されている.この報告にあるように、共通の評価尺度と介入の報告基準を用いると多くの施設の症例を集積できるため、鍼灸治療の形態を分類し、同様な形態を集積することで、精神疾患に対する標準的な鍼灸治療の構築が進めやすくなると考えられる.
7.むすび
精神疾患の総患者数は増加しており、精神疾患は五大疾患の一つとされる.精神疾患の中でも、うつ病は生産年齢人口における患者数が多く、社会的損失が問題となっている. うつ病に関して、ストレスおよび脳科学の側面から発症メカニズムや、鍼灸治療の状況を説明した.最初に、精神疾患に対する西洋医学的治療として、統合失調症、神経症、うつ病、アルコール依存症、心身症、神経性食欲不振症、神経性過食症、認知症について説明した.次に、精神疾患に対する東洋医学的治療として癲狂、鬱証について説明した.うつ病は、癲狂や鬱証と関連が深いと考えられ、癲狂のなかでも癲証の抑うつ状態に近く、痰気鬱結と心脾両虚による癲証の症状に近い.鬱証では、肝気鬱結、心神失養、心脾両虚による鬱証の症状に近くなる.一方で、癲狂や鬱証には、うつ病だけでなく、統合失調症、神経症、双極性障害、心身症、更年期障害、認知症などが含まれており、患者の訴える症状から証分類を的確に行い、処方を組み立てる必要がある.
鍼灸治療では、痛みやこりなどの身体症状を扱うことが多いが、患者には軽症のうつ病患者が含まれる可能性が高い.鍼灸師と患者との良好な信頼関係を構築することで、病態把握においてうつ病などの精神疾患を見つけることが重要となる.そのため、鍼灸師には高い対話能力が必要となる.鍼灸治療が適応となる精神疾患は、日常生活に支障が無ければ鍼灸治療単独でも治療は可能であるが、日常生活に支障がある重度の場合は西洋医学的治療との併用が重要となる.うつ病に対する鍼治療の有効性は、以前より研究の質は高まったとはいえ、未だにエビデンスの質は低いが、無治療と比較した鍼治療、薬物療法と比較した薬物療法に併用した鍼治療は、重症度を有意に改善することが報告されている.鍼灸治療では、患者の訴えをよく聞き、鍼灸治療の適否を判断して、西洋医学の薬物療法との併用を考慮して治療することで、精神疾患に対しても有効な治療法になると思われる.
うつ病の発症予防の観点では、日頃から患者のストレス耐性を高く維持し、ストレスを乗り越えて成長できるように、鍼灸治療を通じた健康管理が重要となる.うつ病などの精神疾患を発症した人には、患者の身体症状だけでなく、心の症状を改善し、体調不良や不安を取り除いて、患者のストレスを緩和していく必要がある.
うつ病などの精神疾患の具体的な治療方法としては、気鬱、肝、心が中心に考えられてきた.治療部位では、頭部の経穴や、肝経や心経が治療の中心となる.効果が不十分な場合は、百会と印堂などへの鍼通電も行われる.うつ病は身体症状も合併するため脾経や胃経などの治療も行われる.精神疾患の治療では軽微な刺激が好まれることも多く、接触鍼、鍉鍼、鑱鍼、軽擦や擦過を用いることで治療効果が上がる場合もある.
精神疾患に対する鍼灸治療では、エビデンスに基づいた標準的な治療方法が確立されていないことが今後の課題となっている.精神疾患に特有の共通の評価尺度や介入の報告基準を用いて症例を集積し、鍼灸治療の形態を分類して同様な形態を集積することで、精神疾患に対する標準的な鍼灸治療の構築が進めやすくなると考えられる.
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(令和5年11月6日受付)
大塚 信之
1985年 東北大学卒業
1987年 東北大学院博士前期課程終了
1997年 博士(東北大学)
1999年 蛍東洋医学研究所設立
2017年 明治東洋医学院専門学校卒業
漢方、鍼灸、気功など、東洋医学に関する研究に従事
所属 Affiliation
蛍東洋医学研究所, 大塚鍼灸院
Hotal Ancient Medicine Research Institute (HARI), Otsuka Clinic
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〒560-0033 大阪府豊中市螢池中町3丁目8-14
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