蛍東洋医学研究所版 鍼道秘訣集

四条.三つの清浄 Pdf版

これから、三つの清浄(みつのすまし)心(こころ)について説明します。 このの図は、心の字の形を示しています。

三つの●は、三つの清浄心を示しており、それぞれ、貪欲、怒り、無知で愚か、という三毒を示しています。 三毒は、心の清き月を暗くする悪い雲です。
次のように歌に詠まれています。
貪欲な心「貪欲という深い流れに沈むと、浮ぶことができなくなる」
怒る心 「燃える怒りの炎で身を焼くと、火の車に乗って地獄に行く」
愚かな心「無知で愚かだと、道理や理屈が分からず、ひがむしかない」

第一の貪欲な心は、全ての禍の元となります。 欲を離れることができないので、針も下手だと言われます。
例えば、病人の腹を診たときに、治療方針が解り、気持ちが乗って、どうすれば治るかわかる患者もあります。 一方で、治療方針が決まらず、気持ちが乗らない患者も沢山おります。 このように、気持ちが乗らず、腹の状態に納得がいかなければ、百日や千日間治療しても納得できず、病が治ることもありません。 その場合は、他の針医に頼んでくださいと言って、治療してはいけません。
病人が裕福な場合や位が高い場合は、納得していなくても、一通り針をしたら患者が亡くなっても治療代がもらえると思って治療してしまいますが、もともと納得していないので病気は治りません。 結局、この針医は下手なので治らないと言われて、別な針医のところに行かれてしまいます。
重病人に対しては、気持ちが乗らないまま、欲の心で治療をするうちに、症状がどんどん重くなり、ついに亡くなると、欲が強すぎたばかりに下手だと言われます。 人間なので、欲が全く無い人はおりませんが、欲が強すぎるのは良くありません。
欲の心がある時は、欲の雲が心の鏡を覆って暗くするので、病が心の鏡に映らず、患者の生死や病証の良し悪しが解らなくなります。 反対に、欲の炎が静かな時は、心が澄んでいて雲のない秋の月を映した鏡のようになり、予後の良し悪しや生死について良く解ります。 これが、三つの清浄の第一の心です。

第二の怒りの心も、欲と同様に心の鏡を暗くします。怒りは、我儘で愚かな考えから生じます。
人は皆、五行と陰陽の元に生まれます。 五行と陰陽よりなる自分の五臓六腑は借り物なので、死ぬと一つ一つ元の五行や陰陽の元に返ります。 従って、自分の物と思ってはいけません。 また、千年や万年後といった死後のことも想わないようにします。
次の歌があります。
「水火風が地に集まってできた体は、物ではなく空虚と思い、我を通してはいけない」
死んで焼くと、その灰は土となるので、よりどころとなる物は無いのです。
「大水に流されても、我を捨てると、クヌギの棒のように水に浮かぶことができる」
我を捨てて無我の心になると、怒りの気持ちも、人を恨む気持ちも無くなります。

第三の無知で愚かな心は、欲を出すと良くないとか、我を通すと恨みや怒りの心になるという根本を知らないために、心が迷って生じます。
色欲にふけり、愛着し、執念深く、自分を背く人を恨んで怒り、位の高い人や裕福な人にへつらい、お金をもらえないので貧乏な人を診ようとしない心が少しでもあると、病気を治すことはできません。 位の高い人にへつらわず、位の低い人を遠ざけず、裕福な人や貧乏な人に分け隔てなく接し、ただ病気の苦しみから救おうと思って、慈悲深く、正直になりましょう。 よこしまな心や欲の心を離れると、仏の心となり、神仏に護られて治療効果が現れます。

次の歌があります。
「心は一つだが、その中には、仏のような慈悲の心、神のような正直な心、人の持つ邪険な心の三つの心がある」
この歌の内容をよく心得て、貪欲な心をなくして無我の心になろうと思って下さい。 完全に無我無欲にならなくても、半分でも心が清ければ病気を治すことができるという根本を理解してください。 貪欲、怒り、愚かな心がなくなると、心が清くなります。このように、心を清浄にすることを三つの清浄といいます。
この考えは、すべてのことに通じます。神様へ参拝するときのように、身体を清らかにするよりも先に心を清浄にすることが重要です。 心が清ければ魂も清く、神様も受け入れて頂けます。

昔、春日大明神は、明慧上人と解脱上人の二人の名僧を、両目や両手のように大切にされていました。 明慧上人が参拝したときは、すだれを上げて直にお話しされましたが、解脱上人には、すだれを上げないで、すだれを隔ててお話をされました。
ある日、解脱上人が参内したときに、春日大明神に次のように問いました。 神も仏も同様に人々を救います。仏は、雨が草木や国土全体を潤すように、平等で分け隔てがありません。 明慧と私には違いがないのに、明慧が参拝した時は直に対面されましたが、私にはすだれを隔ててお話しされた事に納得がいきません。
春日大明神は、私には何も隔てなどない、あなたがそのように思う心が、すだれのような隔てとなる、と返答されました。 解脱上人がこのように思ったのは、心に慢心があったためです。

昔、加納城で於伊茶という女の母親が重病で苦しんでいました。 於伊茶は悲しく思い、龍泰寺の全石という僧を招いて、陀羅尼というお経を読んで祈?してもらいました。 全石が一心不乱に陀羅尼を読むと、しばらくして母親が頭を上げて、胸が苦しく悲しかったが、お経の力で苦しみが無くなったと喜びました。 その時、全石が、早々に布施をもらって帰ろうか、あるいはしばらく滞在した方が良いかと考え出したところ、母親は、心が苦しくなってきたと悲しみだしました。 全石はこれを聞いて、欲の心が出たためと思い、再度、一心不乱に陀羅尼を読むと、母の病気はだんだんと軽くなって治りました。
これも皆、心の清浄と不清浄によるもので、このように患者は良くなったり悪くなったりします。

病人に対して臆病になる針医がいます。技術が未熟な針医は心が動転しやすくなります。 不動明王の背中にある炎は、心の火を表します。不動明王が火の中に座っているのは、心を動転させてはいけないことを人々に教えるためです。 どのような事でも、不動の心を持たなければ、技術は上達しません。
次の歌があります。
「自分の羽でおこした風で鳴子をならして、心を騒がせる雀のようになってはならない」

ここで述べた内容をよくよく心がけて、工夫をしてください。これが、心の持ち様の最も大切な点です。

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